ゴミの中に咲く蓮の花のような

とりあえず、この動画を観てほしい。


ゴミ メガ盛りチキンカツ丼を作ってみたかった編

にゃんたこという人の動画。まず「ゴミ」ってタイトルよ。飯動画につけるタイトルじゃねえよ。

しかし最後まで観てほしい。かつて桂枝雀が唱えた「緊張の緩和」を体現するような高低差のあるごちゃまぜの字幕とともに、美味そうなチキンカツ丼が徐々にできていく。そしてミスチルとともに「自由」を語る実食パートに突入する。犬も居る。この世界観にドハマりしてしまった。


この度にゃんたこ氏が『世界は救えないけど豚の角煮は作れる』(KADOKAWA)という本としてエッセイ本を出したので、少しずつ味わっている。

ストロングゼロをあおり、パチンコを回すOL。飲む・打つ・買うを一人完結させるその女は、しかし気高く品のある人生論をぶちまける。

男性器というものに、強い憧れがある。

先ほどのエッセイにある「欠けたものは美しい」という節。読者をいきなり殴打してくる。

その後、学生の頃に友人と二人でイギリス旅行に行ったくだりが出てくる。「ギリシア彫刻」に惹きつけられ、大英博物館に通い続ける。

そんな生活が一週間続くと、私の両目に異変が異変が起き始めた。彫刻たちに血管が浮き出始めたのだ。 (中略)彫刻の、あるおかしな部分に気がついた。男性器が赤い。それはもう、燃えるように。血管がひしめきあっているのだ。

ここまで読むと、いよいよ文章に惹きつけられる。

「Don't Touch!」

遠くから聞こえる警備員の声を無視し、私は彫刻の男性器に手を伸ばした。

もはや『檸檬』(梶井基次郎)の世界。ちなみにオチはあるが伏せる。とりあえずちんちんの話になってIQが下がる。

最後に、動画と同じように締められる。

欠けているものほど美しい、と思う。それは容姿だけではなく、人間すべてが有する魂についてもだ。欠けた部分を嘆く必要はない。片腕を欠いたミロのヴィーナスが尽未来際愛され続けるように、欠け続ける私たちもまた、誰かにとっての愛すべき存在であるはずだ。(中略)そしてこの文章は、男性器を持たない私に宛てた私という存在についての、優しいメタファーである。

敬具

この絶妙なバランス。面白すぎる。悔しくなるぐらい好きな文章が、この本の中にたくさん詰まっている。お買い得。

子どもの頃に父親から借りて読みあさっていた原田宗典のエッセイを思い出す。くだらない話をしていると思ったら急にしんみりする、あの感じが蘇る。

にゃんたこ氏は本棚の動画も出している。こういう本を読み漁ったら、映画を観まくったら、にゃんたこみたいな文章がかけるのかなあ。でもあんな酒クズにはなりたくねえな。


ぐちゃぐちゃなほんだな

というわけで、何かと息苦しいこの昨今に舞い降りてきた心のオアシスについて紹介した。いや、ゴミの中に咲く蓮の花というべきか。

藤原 惟

世界は救えないけど豚の角煮は作れる