名残のたそがれ、怒りのからあげ
YouTuberに憧れていた。
一年ぐらい前、三脚を買った。最近は映像による日記をvlog(ビデオブログ)と呼ぶらしく、そういうのを撮ってみたくなった。
一度は撮ってみたけど、三脚はそれっきり使わず物入れに寝かせていた。「三脚とスマホがあれば何でも撮れる」とわかっていたのに、vlogをやる度胸がない。今日まで来てしまった。
今日、三脚を売った。100円にもならなかった。
引越のために、かさばるものを片っ端から捨てる必要に迫られている。その一環で、リサイクルショップに物達を差し出した。悲しきこんまりバーサーカー。ちなみにジャケットは値段が付かず返された。
リサイクルショップの前で、しばらく突っ立っていた。たそがれを眺める。いつもより鋭く、温かい。
憧れていた行為の、可能性を捨ててしまった。スマホは残っているし、安い三脚だけでvlogやっている人は何人もいる。でも「それを捨てる」という選択をした。
元々、いらなかったものだ。ある三叉路の先へ進むには、一方の道を選び、もう一方の道を捨てなければならない。それを捨てたことは、道を選んだことだ。
私は何をしたかったのだろうか。表現をすることに怖じ気づいていたのか。それとも、怠惰か。未練があるとすれば、何に由来するものなのか。答えは出ない。
しだいに怒りが湧いてきた。てめえ、よくこんなショボい値を付けやがったな。二度と来ないからな!
業務スーパーに寄った。いちごが200円切っている。明らかに安い。けど、それを手に取る気力はなかった。
からあげだ。業務スーパーに入る前から、決まっていた。小さいおひとりさまパックではない、業務用の500gパックだ。
ついでに、牛丼や割引惣菜もいくつか買った。ひとり暮らしであの山盛りの牛肉を買えないが、牛丼なら手頃で最高だ。しかし、からあげは山盛りでなくてはならない。
店を出る。例のいちごだけを袋なしで持ってるおじいちゃんに、「駐輪禁止」のラベルを付けたまま自転車を停めるお嬢さん。すべてを受け入れてくれる。業務スーパーに来ると、生きる気力が復活する。
宴だ。文句は言わせない。名残は怒りに、たそがれはからあげになった。
藤原 惟