参加していないClubhouseについて堂々と語る方法

ついに招待枠を手に入れた。どこに入ろうか。

ほぼ日手帳」「暮らしを楽しむ」いいねえ。

「新型コロナウィルスについて考える」これはマストだ。

知り合いのショップもやってるらしい。とりあえず入ってみよう。

「愚痴り隊。」「寂しがりやの一人好き」「音楽が無いと生きていけない」おお、琴線にふれる感じ。これよ、これ。

……えっ、Clubhouseってなんですか? mixiのコミュニティを漁ってただけなんですけど。


茶番でした。実際、初期mixiって招待制だったんですよ。(mixiって何?って話をするとめんどくさいオッサンになるのでググってくれ)

もちろん「リアルタイムに話せる」という点は大きく違うし、その性質がユーザ層に決定的な影響を与える。そういう云々は誰かが書いているだろう今から書くことになる。

ただインターネットを経験してきた30〜40代がTwitterFacebookにないワクワク感を欲しているのは間違いない。その中で声が優位な人にとっては、Clubhouseがぶっささるんじゃなかろうか。


コミュニケーションにおいて声が優位かどうかと、ある種のクラスタや社会階層に属するかどうかは関連があると思う(要出典)。

声(および表情)は身体的なもので、感覚統合的な運動だ。私みたいに感覚統合がうまくいかなくて小中学校の体育の評価点が1とか2だった人間にとって、自分の声を出すということは案外難しい。合唱みたいに何回も練習したものに関してはある程度高得点を狙えるが、サッカーのパス回しのように次から次へ発声が要求される場面ではおろおろしてしまう一方だった。

どういうわけかわからないが、声と表情が生き生きとしている人は、ある種のソーシャルコミュニティへの切符を手にすることになる。まるでClubhouseの初期に切符を手にした人のように。

幸いにも私のFacebook友達には、今日(2021年1月31日)付でちらほら「招待枠ありますよ!」という投稿も見かけるようになった。昔の自分ならそれでも、(このブログのタイトルが暗示するように)多少は意識高くやってきたので、なんとかして切符をもぎ取ろうとしただろう。

しかし今の自分は、その気力すらなくなった。ルサンチマンをたっぷり抱えた者として、(この文章のように)皮肉という形でしか反応できない。といっても実際に参加してみたら手のひらをくるっと回すだろうけど。

一方で、文章なら饒舌になれる。雑に書いてもあとで修正できる。だからブログならある程度書ける。そして短文で済むなら雑談もしやすい。だからTwitterにハマってつぶやきまくった。少なくとも今ほどキナ臭くなる前は。

実は数年前から、Podcastでラジオみたいなことをやりたいと思っていた。あらかじめ収録しておく形式なら、失敗しても何度でも撮り直せる。そう思ってボイスレコーダーを手に録音の練習をしてみた。しかし初手は悲惨なものだった。どもりまくるし、間が空きすぎる。こんなの人前で見せられないと思って、そのボイスレコーダーは封印したままだ。


時が変わって、YouTuberあるいはVTuberバーチャルYouTuber)という存在が注目されるようになった。VTuberに関しては2〜3年ほど前に個人勢ブームが興り、一般の人達や無名の人達も含めたたくさんの人がデビューした。

外野から眺めていたROM専(ググってくれ)としては、その残り香をまだ記憶している。「名古屋に行けば、あの伝説の人と会えるらしい」とか「VRの伝道師がうちの近所に来るらしい」みたいな話もちょいちょいあった。

結局、私自身は外野のまま、この界隈は大手事務所によるVTuberブーム(そして中小事務所の撤退・個人勢の引退ラッシュ)に移行した。それはそれで面白いし大好きだけど「めっちゃ面白いテレビ」とか「尊い推しのライブ」の範疇を超えない。それはもはや「無名の人が織りなすセレンディピティ(偶然の出会い)」ではなくなりつつある。

一方で、VTuberとはちょっと違う文脈として、VRSNSのVRChatというのもある。同じように少しだけかじって離れてしまったが、そこでほぼ1日暮らしている人もいるぐらいにはハマる人はハマるらしい。「ルームを選んでアバター(バーチャルの身体)に近づけば音声で話せる」という最近どこかで聞いたようなシステムである。しかし基本的には任意のID表示制(半匿名)で、実名を表示している人は少数派のように思う。

ちなみにVRChatの一派閥として、バーチャル美少女受肉(略してバ美肉)をする人もいる。典型的には「おじさんが美少女のアバターを着る」ことが多い。任意のトッピングとしてさらに「美少女の声を出す(肉声またはボイチェン)」場合も多いらしい。

こうしてみると、単に「オタクだから声を出すのが苦手」みたいな単純な話ではなさそうだ。文脈が違う、何かしらのソーシャルコミュニティや文化的コードが違う、そういうブルデュー社会学みたいな話になるかもしれない。


なにを話したいのかわからなくなったが、私のSNS遍歴は以上のようなものだった。実際にはmixi以前の黒歴史もあるが、さすがに今は筆を置きたい。

……ところで、Clubhouseってなんですか?

藤原 惟

(追伸:元ネタのピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法 』も実際には読んでいない)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)