直感と科学は正しい生き方への両輪である
この記事を読んで思い出したことを書いてみます。
食のあり方を巡って、色々な立場の方がいらっしゃいます。
- オーガニック界隈の中でも「疑似科学(ニセ科学)」を正当性の根拠にしてしまう人達がいます。
- 一方、その間違った一部の人だけを見て「オーガニックはけしからん」という誤解をする科学サイドの人達もいます。
僕は、お互いの立場がもう一方を敵視してしまう状況を、とても残念に思います。
僕はこのような信念を持っています:
- 「科学はオーガニック食品の安全性・健康効果を証明できるはず」
- 「オーガニックな生き方は「科学の限界」より一つ先に進めるはず」
科学は、オーガニック界隈に潜む「ニセモノ」を排除するための強力な道具です。*1
論理と科学の手続きは「正しさを保証するための世界共通言語」を提供します。だから、世界の誰が見ても「正しい」と自信を持って言えるのです。
しかし、科学は万能ではありません。この意味は、大学で真面目に実験データ解析(統計的検定など)をした方なら理解できるはずです。
例えば、近年の科学哲学では、正当な科学と疑似科学の間に「未科学(プロトサイエンス)」という領域を設けることがポピュラーになりつつあります。 未科学には、漢方・中医学(鍼灸含む)、アロマテラピー、ヨガ、各種カウンセリング・心理療法などが含まれます。
近年流行しているマインドフルネス(瞑想の現代版)は、まさに未科学を卒業して、正当な科学へステップアップした事例だと思います。
しかし、科学哲学の初期にポパーが提唱した科学の定義(反証可能性)によれば、これらはすべて「科学ではなく疑似科学である」と一刀両断されます。僕はそれはおかしいと思います。*2
さらに重要なこととして、科学は「物事の正しさの保証」はできても、「人はどう生きるべきか?」といった哲学に対して一切答えをくれません。
だからこそ人間は「直感」「第六感」を頼りに、「正しい生き方」を探すのです。その答えの一つがオーガニックだと思います。
ただし、「直感」は単なる勘違いかもしれません。だから、せっかく正しい道を進もうとした人が、疑似科学や(ヒッピーにおける)ドラッグカルチャーといった誤った道に進むのだと思います。
僕は「科学を怖がる人」「科学がなんとなく苦手な人」のことを少し知っています。 例えば「放射能がとにかく怖い人」を馬鹿にしてはいけないと思います。 だからこそ、科学サイドとしては、もっと親しく(しかし一線を譲らない)態度をとるべきだと思います。
一方で、僕個人としては、科学と疑似科学の間(すなわち未科学)こそが、最も科学としてエキサイティングな分野だと思います。 そして、「先人の知恵」「自然の生き方」に理屈や根拠(エビデンス)が付いていく課程が、僕はたまらなく好きです。
以上のように、僕は「直感」と「科学」の両方を使って、「正しい生き方」を模索したいと思っています。
藤原 惟