議論の出発点としての「電車で騒いでいる自閉症のおじさん」
昔の投稿がFacebookから拾われてきた。
実体験としての「電車で騒いでいる自閉症のおじさん」
電車でおそらく自閉症のおじさん発見。 最初は様子を見てたけど、あまりにうるさかったので付き合ってあげることに。 お話ししたら、少し大人しくなってくれた! 行き先は分かっていたようなので、乗り換えでそのまま見送った。
昨年のヘルパーボランティアの経験が役に立った。 とはいえ、昨年は結局ほとんど行けてなかったので、体調が戻ってきたらボランティアを再開したいです。
(2012年4月8日の藤原のFacebook投稿より)
議論の出発点としての「電車で騒いでいる自閉症のおじさん」
今は、どちらかといえば、この状況を学問的に考察している。 なぜなら、この状況は色々な議論の出発点になりうると思うから。
- この状況で何を思うか?
- 感情と理性の両面で
- (あなたが嫌悪感を感じるとしたら)何に対して嫌悪感を感じるか?
- 言動
- 音声
- 容姿
- 存在
- 困り感
- 差別心を抱く自分など
- なぜ嫌悪感を感じるのか?
- 嫌悪感を感じることはいけないことなのか?
- 何をしたら差別で、何が差別じゃないのか?
- 実際にどのような行動を取るべきか?(臨床的なノウハウ)
- 「自閉症のおじさん」が「自閉症の子ども」だったら、何が変わるのか?
- いわゆる世間で認められている『電車のマナー』は、どこまで妥当なのか?
考えることは色々ある。
藤原 惟