Product Redのおじさん

コロナ禍においても、所用というのは存在する。私の場合は都会に通院するため、どうしても都会に出かけなければならない事情がある。(電車に乗るという描写のために、こんな前置きが必要な時代になってしまった)

結局間に合う時間ギリギリになってしまった。慌てて服を着替えて出たが、冬場に手袋を忘れてしまう。いつもは飲みきるカフェオレも残して家を出た。「まあなんとかなるやろ」と自分を甘やかして家を出る。

本当に最低限のことさえ気をつけていたら、あとはなんとかなる。それを学んだのはつい最近だった。財布を無くしても、身ひとつあれば生きられる(できれば無くしたくはないけど)。


しぶしぶ電車に乗る。向かいにおじさんがいる。江頭2:50のような細い背格好と広い額のおじさん。

彼が手にしているのは、iPod nanoだ。2021年に、iPhoneではなく、iPod nano。しかも赤くて特別な「Product Red」。

足元を見ると妙にスリムに見える。黒いタイツ……ではなく黒いデニムを履いている。サイズ感は完璧。靴はnew balance。履き古しているが、決して汚くはない。

まもなく本を取り出した。カバーを外した無地の本。何かしらの付箋が貼ってあり、読み込んでいるようだ。

額が広くなった中年男性が、こんなにスマートに佇んでいる。本物の江頭2:50も実際はスマートだが(YouTubeのエガちゃんねるは大好きだ)、その路線とは違う小綺麗さがある。


そして今日ほど、iPod nanoがほしくなった日はない。私は17歳以降の青春をiPod miniと過ごしてきた。だから「ちいさいiPod」に特別な思い入れがある。

iPodの場合は、Mac(もしくはPC)のiTunesにCDを取り込んで、iPodMacにつないで同期させて……みたいな手間がかかる。それでも当時は革新的だった。

いま手にしているiPhoneには、その当時にインポートした楽曲も入っている。TSUTAYAから10枚単位で借りまくったCDに、中古で漁ったCD。そしていまでは見つからない民族系楽曲のMP3(Muzieという配布サイトがあった)。

いまの私はもっぱら、Spotifyで最新のストリーミング楽曲を垂れ流している。引っ越して以来、いつのまにか部屋にCDがなくなった自分を恥じる。

おそらくおじさんは令和のいまにおいても、家にはたくさんのCDがあり、わざわざCDを取り込んでいるのだろう。それが格好良く、オンリーワンに見える。


あのおじさんは「持つべきもの」「持たないもの」の区別がついているように見える。センスがある。

いまの私は30代にして老けることを恐れている。自分もこのおじさんみたいになれる可能性があると思えば、その恐れはやわらぐ。

本当に最低限のことさえ気をつけていたら、あとはなんとかなる。帰って寝て起きて、まだ残っているカフェオレの残りを一気に喉へ注いだ。

藤原 惟