政治的主張とトラウマ
※ トラウマのある方は閲覧注意
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今からロックを演る。
「そんなぎすぎすとした物言いしなくとも」「より大らかな気持ちで物事を見られるともっといいですよね」といった言動で差別や社会的お仕着せへの反抗・疑問を黙らせようとする動き、毎度本当にかなしい。そういう言動はラクで気持ちいいだろうが「私は別に不利益ないから」ってだけなんだよ。
— 白央篤司 (@hakuo416) 2020年12月30日
実際に差別されたら怒りと理不尽への悲しさくやしさで心いっぱいになるよ。「やめてくれ!」と声も上げられないほどに傷つき苦しむものだ。それを超えて「無くそう、やめて」と声上げてるんだよ。そういうこと想像もできないってのは随分とダメなもんだぜ。
— 白央篤司 (@hakuo416) 2020年12月30日
正直に言おう。
「やめてくれ。このツイートを読んだときから動悸が止まらない。苦しくてたまらない…… 」
まったく理性的でない。心の叫びだ。インナーチャイルドが叫んでいる。
わかっている。差別に対して声をあげなければ、いずれは自分自身が差別されるし、その差別に立ち向かうすべがなくなる。
しかし今の「僕」は、まだ準備ができていない。なにか大きく意見が分かれるような、炎上覚悟で何かを訴えるような、そういう命がけの主張をできる準備がない。
なぜか。あのとき、あの頃の心の傷が、まだ癒えていないからだ。
差別や社会的お仕着せへの反抗・疑問を黙らせようとする動き
違う。ただ怖いだけなんだ。過去の記憶、ひどい仕打ち、そして他でもない差別に震えたあの日。それを、目の前で再演されているように感じてしまうんだ。たとえ貴方が「僕」の味方だとわかっていても。
そういう言動はラクで気持ちいいだろうが「私は別に不利益ないから」ってだけなんだよ。
違う。「ラクで気持ちいい」時期が不可欠なんだ。「私に別に不利益ない」なんてことはない。
だから、貴方が叫んでくれることは本当にありがたい。しかし、いまの「僕」は、その叫びを直接耳にしたくない。叫び自体が、「あの日」を思い出させるから。
そういうこと想像もできないってのは随分とダメなもんだぜ。
違う。痛いほど想像している。想像し過ぎている。かろうじて「随分とダメなもんだぜ」というのは受け入れる。ただ、それは「僕なんてダメなやつなんだ」という自己否定を加速させかねない。私は「僕」に対する自己否定への悪循環だけはキッパリ止めさせたい。
毎度本当にかなしい
ああ、本当にかなしい。トラウマを抱えただけで、他でもない差別や暴力・ハラスメントを受けただけで、味方の勇気あるアクションにすら傷ついてしまうなんて。
本当にかなしい。
貴方たちには敬意は抱いている。ただ「僕」はこう言っている、いまはそっとしてほしいと。
◆
傷が癒えたら、きっと声は取り戻せるから。少し大人になったいまの私のように。
藤原 惟