政治的主張とトラウマ

※ トラウマのある方は閲覧注意

※ ツイートはご本人から許可を得ています

 

今からロックを演る。

 

 

 

正直に言おう。

 

「やめてくれ。このツイートを読んだときから動悸が止まらない。苦しくてたまらない…… 」

 

まったく理性的でない。心の叫びだ。インナーチャイルドが叫んでいる。

 

わかっている。差別に対して声をあげなければ、いずれは自分自身が差別されるし、その差別に立ち向かうすべがなくなる。

 

しかし今の「僕」は、まだ準備ができていない。なにか大きく意見が分かれるような、炎上覚悟で何かを訴えるような、そういう命がけの主張をできる準備がない。

 

なぜか。あのとき、あの頃の心の傷が、まだ癒えていないからだ。

 

差別や社会的お仕着せへの反抗・疑問を黙らせようとする動き

 

違う。ただ怖いだけなんだ。過去の記憶、ひどい仕打ち、そして他でもない差別に震えたあの日。それを、目の前で再演されているように感じてしまうんだ。たとえ貴方が「僕」の味方だとわかっていても。

 

そういう言動はラクで気持ちいいだろうが「私は別に不利益ないから」ってだけなんだよ。

 

違う。「ラクで気持ちいい」時期が不可欠なんだ。「私に別に不利益ない」なんてことはない。

 

だから、貴方が叫んでくれることは本当にありがたい。しかし、いまの「僕」は、その叫びを直接耳にしたくない。叫び自体が、「あの日」を思い出させるから。

 

そういうこと想像もできないってのは随分とダメなもんだぜ。

 

違う。痛いほど想像している。想像し過ぎている。かろうじて「随分とダメなもんだぜ」というのは受け入れる。ただ、それは「僕なんてダメなやつなんだ」という自己否定を加速させかねない。私は「僕」に対する自己否定への悪循環だけはキッパリ止めさせたい。

 

毎度本当にかなしい

 

ああ、本当にかなしい。トラウマを抱えただけで、他でもない差別や暴力・ハラスメントを受けただけで、味方の勇気あるアクションにすら傷ついてしまうなんて。

 

本当にかなしい。

 

貴方たちには敬意は抱いている。ただ「僕」はこう言っている、いまはそっとしてほしいと。

 

 

傷が癒えたら、きっと声は取り戻せるから。少し大人になったいまの私のように。

 

藤原 惟