兵庫育ちの僕にとって大切な日、1月17日。
2016年1月17日。 阪神淡路大震災について想いを馳せる。
今年は幸運があって夜の伊丹・昆陽池公園にて行われている「追悼の集い」に行けることになり、色々考える機会を得た。
震災と自分
1995年1月17日、5時46分。あれから兵庫は変わった。
目安として、アラサー前後の兵庫育ちの人が、幼いなりに物心ついた後に震災を経験したことになる。
神戸・長田に住んでいた自分の友人は、家庭に不幸があったらしい。(詳しくはあえて聞いていないが。)
一方、自分は加古川の実家にいて、家も家族も無事だった。 しかし、テレビで観たのは、あの阪神高速が横倒しになったシーン。今でも脳裏から離れない。 一方家では、今は亡き大きなブラウン管テレビが転倒していた。それだけでも事の重大さを幼いなりに自覚した。
伊丹・昆陽池公園 追悼の集いにて。
ろうそくを眺めて、火と人の関わりについて考えた。 有史以来、火は単なる道具を超えて、生命の象徴となった。
火はかざすと暖かい。暖かさは人を思い起こさせる。 ろうそくは百個以上あったが、あのときには6434人が亡くなった。 たった百個のろうそくを人に見立ててみても、その一つ一つの暖かみが冷たさに変わったのだ。それがあと64倍ぶん。
人の認識には限界がある。だから、数字で把握する。 日々の生活のために、6434人という数字で分かったことにする。 そうしないと、一人一人の死が辛すぎて受け止められないから。 それでも、今日ぐらいは、100本のキャンドルを介して、一人一人の暖かみに触れる日があってもいい。
記録を残すこと。記憶を残すこと。
思い出すことが大切。 そのために、思い出すきっかけを作ることが大事になる。 そして、語り継ぐことがその先につながる。
犠牲者の方々にお祈りします。安らかに。 そして、兵庫の発展、東北の復興、世界の平穏を。
2016.1.17 藤原惟