うつ病で休学してから人生が充実してきた話

あけましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願い申し上げます。

はじめに

忘年会シーズンに「最近何しているの?」と聞かれひとことで答えられなかったので、 ここ2〜3年について、自分の活動をまとめてみようと思いました。

私は大学院生なのですが、2010年の夏にうつ病の診断を受け、現在は休学しています。 それまでは研究一筋でがむしゃらに頑張っていたのですが、ずっと苦しくて死にたいと思うことも度々ありました。 しかし、休学をきっかけに、「自分が本当にやりたいこと」に向かって生きていけるようになり、 人生が徐々に充実してきました。

今回は、「うつ病発症から休学まで」「休学から現在まで」に分けて、私のここ数年をふり返りながら、 良い人生を生きる方法について話したいと思います。

お知らせ:私は自分のうつ病について公表する意向です。 そのため、このブログ記事についての転載・拡散を歓迎します。

いきさつ

まず、自分のここ2〜3年をふり返ってみたいと思います。 少々重い内容もありますので、精神的に不安な方はご注意下さい。

うつ病発症から休学まで

2010年2月ごろ 卒論を書いているときに手が動かなくなる

うつ病の兆しは、学部時代に卒論を執筆しているときに起こりました。

それまででも、頭がぼーっとして作業できないことはあったのですが、卒論提出1週間前がひどい状況でした。 研究室に缶詰になり、卒論を書こうとしてキーボードに手を置くのですが・・・ 頭は真っ白、手は動かず、涙だけが出てくる状況でした。

幸いにも、先生に半分以上原稿を書いてもらえたため、何とか卒論を提出することができました。 今思えば、このときからうつ病を発症していたのだと思います。

2010年春 授業と海外研究インターンシップに向けた準備で忙殺される

その後、無事に大学院生になり、同じ研究室に配属されました。

私の所属する大学院では、海外への研究インターンシップの制度があります。 うちの研究室は、なぜかその海外インターンシップへ行く人が毎年いました。 そのため、研究室の先輩に憧れ、英語スキルを向上させたいと思ったことはごく自然なことであり、 私は海外インターンシップを希望しました。

海外の大学で研究インターンシップ(身分的にはVisiting Scholar)するには、 ビザの申請やアパートの確保などで、向こうの大学とメールや書類のやり取りを多く行う必要があります。 しかし、修士課程の1年は授業が多く、自分の手際の悪さもあり、なかなか準備が進みませんでした。

そのうち月日が過ぎて、日程的に余裕がなくなってしまいます。 このときも、卒論の時と同じように頭が真っ白になり、先生に叱咤されながら書類の準備を進めることになりました。

2010年夏 うつ病の診断を受ける

不幸中の幸いで、自分で「このままではヤバイ」と思い、精神科を受診しました。 その結果、うつ病と診断されました。

このときは、既に海外インターンシップが決まっていたので、 薬を飲みながら研究を続けることになりました。

2010年10月〜12月 海外研究インターンシップ@カリフォルニア

何とか海外インターンシップにこぎ着け、 カリフォルニアの某有名大学で3ヶ月間お世話になることになりました。 現地の先生や友人は本当にいい人たちばかりで、その人たちの助け無しには3ヶ月は過ごせなかったと思います。

しかし、結論から言えば、全く充実していませんでした。 なぜなら、自分から積極的に外との交流をせず、家と学校を往復するだけの毎日になってしまったからです。

そして11月頃にはうつ病のせいで家からほとんど出られなくなり、引きこもり生活を1ヶ月過ごしていました。 家でベッドに倒れ、起き上がったらパソコンに向かってネットとニコニコ動画をひたすら観るという、廃人同然の生活でした。

それでも、海外生活で得たものは大きかったと思っており、 全くの無駄にならなかったのは不幸中の幸いだと思っています。 特に、英語圏なら「いきなり外国に放り出されても、なんとか生活できる」という変な自信が付いたのは大きいです(笑)

2010年1月〜4月 就活

当時の私は、周りと同じように、修士を終了した後に就職するつもりでした。 そのため、年明けから4月ごろまで就活に明け暮れました。

私はWeb系のベンチャーが肌に合っていると思って、そのような会社を中心に回っていました。 しかし今ふり返れば、自分のやりたいことを封じ込めて、自分に嘘をつきながら就活していたように思います。

実は、就活で自分なりに自己分析した結果、自分の過去から「やりたいこと」を見つけだせました。 その「やりたいこと」とは、障害を持つ人をサポートするようなテクノロジーを生み出すことです。

ですが、Web系ベンチャーでできることとは遠く、その「やりたいこと」を諦める方向で私の就活は進みました。 就活自体は私にとって楽しかったのですが、私の本心とはかけ離れたこの決断は、 心の奥底でキリキリと私の精神を締め付けていました。

結果としては、内定を1ついただきましたが、後に休学を決意したため辞退しました。 既存のレールを外れるというリスクを伴う決断でしたが、 今ふり返ると、この決断は不幸中の幸いだったのかもしれません。

2011年7月 研究室の中間発表で、精神が崩壊して発表中止

うちの研究室では、夏に中間発表を行います。 私は今までの研究内容で発表しようとしましたが、 プレゼン資料を作ろうと頭で考えても、体が拒絶し全く作業が進みませんでした。 今思えば、それは自分の本能が出したSOSだったのだと思います。 「このまま進んではいけない!」と、無意識の自分が警告したのでしょう。

結局、本番直前になって私の精神はずたずたになって涙が止まらなくなり、やむなく発表を中止しました。 先生からは再度発表していいと言われましたが、結局私は秋からの休学を決意しました。

その際、私は研究の指導教員と研究テーマを変更することにしました。 自分に正直になって考えた結果、まず研究テーマが合っていなかったと感じたためです。

2011年10月〜現在 休学

こうして、2011年の秋学期から現在に至るまで休学を続けています。 うつ病は一般に悪くなったり良くなったりを繰り返す病気なのですが、私もうつの波を日々経験しています。 最初は気分が重すぎてベッドから起き上がれない日が多かったのですが、少しずつ体調の良い日の方が多くなっていきました。 一時期、うつが良くなったと気が早くなり、薬を減らしたり研究に戻ったりもしたのですが、 すぐにうつが悪化して再び完全に休んだりしました。

このように体調の良し悪しを繰り返していたのですが、 最近は「どうなったら悪くなるか」が分かってきて、ある程度コントロールできるようになってきました。 そのため、疲れて倒れそうな予感がしたら、自分から早退や休憩を申し込むことができるようになりました。 これはうつが治った後でも有用なスキルのように思います。

休学してから現在まで

うつで休学していながらも、私はイベントに参加したり、自主的に活動したりしていました。 最初の理由は「暇だったから」なのですが、自分が心の底から「やりたいこと」を思い出すにつれて、 それに向かってゆっくり歩むようになっていきました。

全てのきっかけは、学内のとあるセミナー

前述のように暇をもてあました私は、あるチラシを学内で見つけます。 それは「起業家育成セミナー」という、3人のベンチャー社長を招いた講演のチラシでした。 私はその講演者リストの中から福祉系ベンチャー社長のFさんを見つけ、 なんとなく「これは何か面白そうだ!」と思い、行ってみることにしました。

福祉系ベンチャー

講演の内容は、Fさんが行っている事業に関してでした。

  • 「障害を持つ人の働く場」作り
    • 障害特性に合わせた数々の工夫を食品工場に設ける
  • 同時に、福祉事業所で作ったものを、一般流通で通用するクオリティで提供できるように商品をプロデュース

実際に講演を聞いてみると、非常に興味深く、自分の中に閉じ込めていた何かが目覚めたようでした。 そして、講演後の交流会で、私はFさんと意気投合しました。 Fさん何かコラボしてみないかと持ちかけられ、私はその場でOKしました。 これが、全ての始まりでした。

2011年9月〜翌年春頃 福祉系ベンチャーでのインターンシップ

私はその福祉系ベンチャーにて「実習生」として活動しました。

「障害特性と合理的配慮」についてのパンフレットを作成

もう1人の大学院生Aさんと一緒に、「障害特性と合理的配慮」についてのパンフレット作成に取り組みました。 私とAさんが行ったのは、「障害特性と合理的配慮」に関する情報の整理でした。 私はある程度障害について知っていたつもりでしたが、 調べるうちにまだ知らないことが沢山あることに気づき、非常に勉強になりました。

最終的には、まとめた情報が綺麗にデザインされたパンフレットとして形になり、 そのパンフレットには自分の名前が載りました。この達成感は未だに忘れられません。

食品加工工場で働く障害者に役立つアプリ作り

一方で、私のITスキルを生かすプロジェクトとして、 食品加工工場で働く障害者にとって役立つアプリを考え、作ることにしました。

途中まではプロトタイプができたのですが、うつの悪化により開発が困難になり、 残念ながら最終的にプロジェクトは中止しました。 しかし、私はまだ諦めておらず、できれば形にしたいと思っています。

SIO(ソーシャルイノベーション大阪)に加入

SIO(ソーシャルイノベーション大阪)とは、関西の社会起業家や社会を良くしたいと活動する人が参加する、 ゆるやかなネットワークです。

私はSIOをFさんに紹介してもらい、メーリングリストに入れてもらいました。 このメーリングリストがきっかけで、後にハーバード社会起業大会スタディツアーに参加したり、 色々なイベントに参加することになります。

アルバイト

2011年11月〜翌年3月 京都のモバイル系IT企業

一方で、就活での縁で京都のモバイル系IT企業の社長とつながり、その会社にてアルバイトもしていました。 うつで欠勤し迷惑をかけながらの勤務でしたが、新規プロジェクトの初期段階に携われました。 そのプロジェクトは現在リリースされており、製品として動いていることに感動しました。

スタディツアー

2012年2月末 ハーバード社会起業大会スタディツアー

私は2012年2月末にハーバード社会起業大会スタディツアーに参加しました。 このツアーは、ハーバード大学にて行われる社会起業大会と、ニューヨークの社会起業家を訪ねるものです。 これが私の人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。

ツアーから多くの刺激を得る
社会を良くしたいと願う人々と出会う

ツアーでの収穫の1つは、社会を良くしたいと願い、実際に行動している人々と出会ったことです。 優秀な学生や、面白くて尊敬できる大人の方々に多く出逢えました。

偶然にもMITミュージアムを訪問することができ、自分の進む道を確信した

私を含むツアーメンバーの一部は、とあるアクシデントにより予定になかったボストン観光をする機会を得ました。 その際、MITミュージアムを訪問しました。

内容は、院生による物理実験や、技術史的に重要な計算機やロボットなどの展示物でしたが、 それを見たときのワクワクは今でも忘れられません。 「やっぱり、自分は技術が好きなんだ!」ということを確信した瞬間でした。 そして何よりも、技術系大学の最高峰であるMITの敷地に足を踏み入れられたこと自体が、嬉しく思いました。

ツアーに参加したHさんは、こう言ってくれました:

「君は絶対MITに行った方がいいよ!」

この言葉が、未だに僕の中で響いています。

最初、自分がその可能性があるなんて思っていませんでしたが、 後で色々調べてみると、ちょうど僕の興味とぴったり一致する研究室がMIT Media Labにあることが分かり、 ここに入れたら自分の「やりたいこと」が本当に実現できるかもしれない、と本気で思うようになりました。

スタディツアー後のつながり

スタディツアーの飲み会で色々な出会い

「スタディツアーは終わってからが長い」という言葉があるのですが、 その言葉の通り、ツアーのメンバーとは細く長く付き合いが続いています。

特に、Tさんとの出会いは僕の中では大きかったです。 Tさんはツアー後も何度もご飯に誘っていただきました。 自分のうつ病を心配下さり、自分の夢を応援してもらいました。

また幸運にも、スタディツアーで知り合ったMIT学生の方から、 ロボット研究者の遠藤謙さんや、MIT Media Lab在籍中の佐野あかねさんを紹介していただくことができました。 貴重な夢への足がかり、このチャンスを逃さないように励みたいと思います。

映画 Happy

例のTさんには、Happyという映画の上映会にも誘われました。 この映画は、心理学や脳医学の世界的権威たちと共に、 私たちがどのようにより充実感を得て、なおかつ健康で幸せな生活を手に入れることができるかを探求する映画です。

人生における幸せについて考えるきっかけになった良映画です。機会があればぜひ観に行かれると幸いです。

発達障害者向け就労移行事業所の代表の方を紹介していただく

同じくTさんから、大阪市にある発達・精神障害者向け就労移行事業所の代表Sさんを紹介していただきました。 僕の知らないところでいつの間にか紹介されていたのですが(笑)、 それがきっかけで今年からアルバイトを始めることになりました。

その内容は、障害を持っている事業所の利用者にITスキルがあるかどうかを見いだしてほしい、ということです。 まだ未知の部分が大きいですが、意欲的にチャレンジしたいと思います。 そして、自分のフィールドワークとして、実際に障害で悩んでいる人とじっくり話をして、 何が問題なのかを見いだしたいと思います。

サークル

最後に、細々と続けていた大学のサークル活動について話します。 大学生活の最初から現在まで、サークルは私にとって心の大きな支えとなりました。

大学の英語サークル

英語サークルは学部4年生から参加しました。 一時期全く来なかった時期もありましたが、去年の11月ごろから徐々に復帰しました。 今では心地よい居場所となり、メンバーとも仲良くなったと思います。 英語力は私にとっても大切になってくるので、これからもこの縁を大切にしたいと思います。

合唱サークル

合唱サークルは学部3年から参加し、昨年引退しました。 しかしながら、OBとして今でもゆるくつながっており、友達との交流は心の支えになっています。

今ふり返ると

今まで話したとおり、私は自分に合わない研究で苦しんだのですが、 一旦休学して自分の「やりたいこと」を追求した結果、自分の人生を自然体で楽しめるようになりました。

この節では、今までの私の履歴から「なぜうつになったか」「なぜ人生が楽しくなってきたか」 について考察したいと思います。

なぜうつになったか

やりたくないことを無理してやっていた

第1の原因は、やりたくない研究を無理してやっていたことが挙げられます。

そもそもなぜ当時の指導教員を選んだのかというと、 「この教員の元で研究すれば自分のスキルが向上する」と信じていたためです。

この教員は、国際的なプロジェクト・学会発表に積極的でした。 そして、当時の私は「やりたくなくても、スキルが上がるなら積極的にやるべきだ」と思っていました。

そのため、自分のスキル向上を当てにして、 先生からの命令を絶対だと思いながら自分を殺し研究していました。 しかし、結果はやりたくないことに全力を尽くし、精神的に消耗していっただけでした。 研究内容自体は最後まで良さが分からず、何のために頑張っているのか分からない状態でした。

本当にやりたかったことを我慢していた

上記の通り、研究では自分の本当に興味のある分野を選ばず、スキル向上を優先して研究に励んでいました。 また就活では、自分に「Web系がやりたいんだ!」と言い聞かせて、Web系企業を中心に就活をしました。

しかし、本当に「やりたいこと」は後回しにできると思って、本気で取り組もうとしませんでした。 結果、自分が心からやりたいことと、自分が実際に起こしている行動が乖離し、生きるのが辛くなっていきました。

なぜ人生が楽しくなってきたか

自分に正直になった

うつ病になってから、私は色々な固定観念を解きほぐしていきました。 その答えの一つとして、自分が心の底からやりたいことを見つけ、それに対して貪欲になるように励みました。

そして実際に自分に正直に生きようとして、自分が興味のあるイベントや集まりに積極的に参加するようになりました。 また、やりたくないことにも敏感になり、振ってきた話でも興味のないことは最初からお断りするようにしました。

すると、自分の中の「やりたいことセンサー」が徐々に敏感になり、 さらに自分にフィットした情報が集まってくるようになりました。

自分から積極的に動いていった

研ぎ澄まされた「やりたいことセンサー」に従って、関連のあるイベントや集まりにどんどん飛び込んでいきました。 特に、先ほど述べた遠藤謙さんに東京まで会いに行ったり、佐野あかねさんとSkypeで相談に乗っていただいたりしました。

最初の一歩はとても勇気が要りましたが、その一歩を踏み出す勇気が大切だったんだなと今になって思います。

「ご縁」を大切にしたら、その縁が次々と繋がっていった

このようにアクティブに活動すると、不思議なことに縁が縁を呼ぶことに気づきました。

今まで挙げた例でも、以下のような「縁のチェーン」ができていました:

  1. 福祉系ベンチャーのFさん
  2. SIOのメーリングリスト
  3. ハーバード社会起業大会スタディツアー(特にTさん)
  4. 遠藤謙さん、佐野あかねさん、就労移行事業所のSさん

その他にも、就活時代に築いた縁が、アルバイトに繋がったりもしました。

ジョブズの"Connecting the dots"のような話ですが、 ある場所で打った「点」と、別の場所で打った「点」が、思わぬところで繋がるのです。 だから、出会った人と繋がりを持ち続けることは、とても大切なことなんだと今では思っています。

「自分がやりたいこと」を周りに宣伝しておくと、周囲の人がそれに関連した情報やコネを持ってきてくれる

個人的には、これが一番の学びだと思いました。

私は、「発達障害を持つ人に興味がある」「海外留学に興味がある」と普段から言っていました。 すると、友人が関連した情報や人を紹介してくれるのです。 時には勇気を出して自分から言い出す必要もありますが、ダメもとで当たってみたら見事ヒットすることもありました。

この経験から、普段から「自分がやりたいこと」を宣言しておくことは、自分を後々有利にしていくものだと実感しています。

「サードプレイス」を確保した

最後に、少し今までと毛色が違いますが、「サードプレイス」の大切さについて話したいと思います。

都市生活者には三つの“居場所”が必要だといわれます。第一の場所(ファーストプレイス)が「家」。第二の場所(セカンドプレイス)が「職場」。そしてその二つの中間地点にある第三の場所を「サードプレイス」と呼びます。 出典:『日本の人事部』(コトバンク)
私にとってのサードプレイス

私は、常にサードプレイスを持つように心がけていました。 私の場合は、以下の通りです。

  • サークル
    • 合唱サークル(現在はOBとして関わる)
    • 英語サークル
  • SIO関連(ソーシャル関係)
  • ハーバードスタディツアーの集まり
サードプレイスがあることで、辛いときにいつでも逃げられる

私は勉強や研究で辛い場面に会うことが頻繁にありました。 そのため、逃げ道としてサードプレイスを活用しました。 特に、辛いときの相談相手として、サークルの人には何度もお世話になりました。

このように、辛いときには一旦逃げて、休んでからまた立ち直れば良いと思っています。

参考

まとめ

人生を充実させるには

人生を充実させるには以下のことに気を付ければ良いのかな、と自分なりに思っています。

  • 我慢をしちゃダメ!
  • 自分から積極的に動こう
  • 自分のやりたいことは、言葉にして周囲に宣言しておく
  • ご縁を大切にしよう
  • サードプレイスを作ろう

自分の欲望を我慢せず、むしろ欲望に対して貪欲になることが、人生を楽しむ秘訣だと思います。 これから就活や進学など大きな決断をする方も多いと思いますが、 どうか、絶対に自分に嘘をつかないようにして下さい。 うつ病になった私からの心からのお願いです。