メモ:安易な「AIに仕事を奪われる論」は避けつつ、しかし「AIに真似できない人間のあり方」を追求すべきである

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AI(人工知能)とBI(ベーシック・インカム)-「仕事を奪われる」のか、「仕事から解放される」のか? | ZUU online

この記事についての覚え書きを書いてみます。

シンギュラリティは起こるのか?

私は、安易なシンギュラリティ(技術的特異点)論に懐疑的である。

なぜなら、今の人工知能(AI)は、たとえ囲碁で人間を負かせたところで、単なる問題解決器(弱いAI)に過ぎないからである。 つまり、その設計には人間がかなり介入しないと、そもそも実現できない。

一方、シンギュラリティ論のよくあるシナリオとして、「AIが自律的な意識や心(のようなもの)を持ち、人間の進歩を超えてしまう瞬間が訪れる」というものがある。 このようなAIは強いAIと呼ばれる。

以上の基本的な知識(特に、強いAIと弱いAIの違い)は、下記を参照。

「人工知能」ブームに乗り遅れた!という方々に捧げる人工知能(機械学習)まとめ記事 - 東京で働くデータサイエンティストのブログ

上記から言えるのは、

  • ディープラーニングは弱いAIに過ぎず、それが強いAIに化ける可能性も低い(これは私の見解もある)。
  • ディープラーニングは、歴史的には「脳の模倣」から始まったものの、今や単なる数理モデルにすぎない。ディープラーニングから「脳や知能の本質」を考察するのは、(無駄ではないが)筋違いだろう。
  • 弱いAIとしての人工知能技術は、最盛期を迎えている。ビジネス応用を考えるなら、今がチャンスである。そのためにも、ディープラーニングだけでなく、統計的手法(機械学習と呼ばれるもの)の知識も抑えておきたい。
  • 強いAIは、研究は細々とされているものの、「シンギュラリティが起こる」とされる2045年には間に合わないだろう(私の見立て)。

まずは、このような主張をしておく。

人工知能は人間の仕事を奪うのか?

再び、上記ブログ記事から引用する。

「人工知能が発展しようがしまいが社会全体で技術革新が進めばなくなってしまう仕事がそもそも多い」し、「それらは急に起きるのではなく技術革新とともに少しずつ進んでいく」

例えば、電話交換手は自動交換機の登場とともに不要な仕事になりましたし、かつて人手で算盤を弾いたり電卓を叩いて集計していた会計仕事の多くはExcelや類似のスプレッドシートやそれらを統合した会計ソフト・システムによって置き換わられています。

つまり、「○○によって技術革新が起こり、人の仕事が奪われる」という話は(遅くとも)産業革命からずっと言われていることであり、○○が人工知能であるとは限らない。人工知能だけに囚われていると、他の技術が仕事を奪いに行くかもしれない。

いずれにせよ、「何らかの技術革新に対して、おそらく現存している人間の仕事の大部分がなくなるかも知れない」という見立ては、間違ってはいないだろう。

つまり、「どのように人間は仕事をし、生きていくべきか?」という問いについては、いずれ真剣に向き合わなくてはならない。つまり、自分で「哲学する」必要がある。

技術革新で仕事を奪われないために

では、将来的な話に移りたい。問いとしては

  • どのような仕事が「人間の仕事」として残るか?
  • あるいは、「仕事がもし全く無くなった代わりに、ベーシックインカムのように生存権だけが一律に保障されたとき、人間は何のために生きるのか?

の答えを考えてみる。私もあまり整理出来ていないが、私が考えてみたものを列挙してみる。

  • 意思決定
    • 今日のお昼ご飯を決めること(カレーかラーメンか?)
      • 意外だが、人工知能にとって難問である。なぜなら、人間はその判断に理性を使うことはほとんど無いので。
      • 現実的に人工知能に判断させるなら、結局サイコロを振ること(乱数の使用)が、人間としても納得できてしまう策だろう。これは別途考えたい。
    • ビジネス上の判断
      • 持論だが、交渉や説得において99%は理性的・論理的な推論で結論を出せる。しかし、それだけでは、いわゆる「決め手」に欠けるため、決裁者を説得できない。最後の一押しとして、理性でなく「強い気持ち」を最後の1%として示すことで、人間の決裁者は納得する。
    • 司法判断
  • 「遊ぶ」こと
    • 雑談する、スポーツをする、芸術や音楽や演劇を楽しむ、お笑いを見るなど。
      • その目的のためのビジネス(エンターテイメント分野)
    • わざわざ手書きで手紙を書いて贈ること、花束を買って他人に渡すこと。
      • 論理的・記号的なメッセージであれば、メールやチャットで済む。ただ、それでは伝わらない情報(感情)がある。
      • 手書きの手紙や花束は、「情報や物品の授受」以外にも、それらを媒体として非言語メッセージ(感情や気持ち)を乗せることが出来る。
      • 非言語メッセージのやりとりや解釈は、現在の人工知能が苦手とする分野である。
    • 人工知能にとって、「遊ぶ」ための合理的な理由は存在しない。しかし、それが人間にとって必要なのは自明である。なぜ人間は「遊び」が必要なのだろうか?
  • 育児

他にもあるが、雑多にもこれだけある。

もっと「人間にしかできないこと」を考えたい方には、下記の本をお勧めしたい。「ロボットは東大に入れるか?」のプロジェクトを進めている新井先生による本で、ディープラーニング以降の話は(刊行当時には)ないものの、今でも十分に本質的な議論がされている。

コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う


ひとまず、これで話を終える。

人工知能や技術革新が社会や世界で起こしうる問題や課題、もはや理系の学問ではなく、むしろ文系の方々の知恵を借りて真剣に考えてみるべきテーマである。

ぜひ、一緒に、色々な人と議論してみたいです。

藤原 惟